世界遺産の富岡製糸場に行ってきました。
正式には「富岡製糸場と絹産業遺産群」と言います。
今回は富岡製糸場と、そこで作られた生糸を運ぶ手段についてのお話です。
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約1年ぶりの投稿になってしまいました。
「今年は忙しいから」とか自分に言い訳してたら、こんなに期間が空いてしまいました。
「せめて月1で投稿続けるぞ」とか思ってたのに。ダメ人間だもの。
富岡製糸場
富岡製糸場は、明治政府の「殖産興業」のスローガンの下、明治5年(1872年)に操業を開始した官営模範工場です。
日本の近代化と絹産業の発展に貢献した、重要な工場です。
富岡製糸場は、お雇い外国人のポール・ブリュナーさん(フランス人)を招き、フランスの技術を導入して設立されました。
富岡製糸場が群馬県富岡につくられることになったのは、
- 周辺で養蚕業がさかんだったこと
- 近くに鏑(かぶら)川が流れていて水を得やすいこと
- 蒸気機関に必要な石炭が近く(高崎)で採れること
- 農業に適さない広大な土地が確保してあったこと
- 地元民の理解・同意があったこと
などが理由です。
富岡製糸場では、旧士族の娘達が集められ、工女として働いていました。
彼女たちの奮闘により、富岡製糸場の生糸はリヨンやミランの絹織物に使われるほど高品質だったそうです。
明治26年(1893年)に民間への払い下げが行われ、官営工場ではなくなりました。
空襲に見舞われることもなく戦時中も操業を続け、昭和49年(1974年)には生産量37万3401kgにも上り、富岡製糸場史上最高の生産量を達成しました。
ところが、中国からの安価な生糸の増加が原因で生産量は減少し、昭和62年(1987年)にその役目を終えました。
富岡製糸場見学
で、富岡製糸場に行ってきたのですが、実は行ったのは1年前(2017年)のGWのことです。どんだけサボってたんだ・・・
駐車場から歩いていたら、お土産屋さんの前で遭遇。
「お富ちゃん」というそうです。
ついに到着。赤いポストが懐かしい。
入り口でパシャリ。良い天気でした。
富岡製糸場は木骨煉瓦造。煉瓦の積み方は「フランス積み」というそうです。
また、煉瓦の壁を木の柱にはめ込むように組み立てられているのが特徴みたいです。
富岡製糸場の心臓部、「ブリュナエンジン」の復元機。
ブリュナーがフランスから輸入した横形単気筒式の蒸気機関です。
元気にグルグル回っていました。
繰糸所の内部。こんだけ広いのに柱がありません。
屋根の重みを壁で支えています。
屋根の構造に秘密があるのだとか。
えーっと・・・うん、分かりません。
糸を繰ってる映像も流れてたけど、何をしているのか分からなかったです、はい。
総合案内所でおすすめの見学ポイントが書かれたパンフレットをもらえます。
そこに書いてある4つのポイントを回ると、群馬県の方言が書かれたバッジをもらえました。
どの方言がもらえるかはあなた次第!
私がもらったのは「いぐんべ(=Let's go)」のバッジ。
ちょっと長くなったので続きます。
次回は富岡製糸場でつくられた生糸の輸送についてです。