日本の最南端の島は沖ノ鳥島。
日本の最東端の島は南鳥島。
社会の授業で覚えさせられましたよね。「なんで最『東』端なのに『南』鳥島なんだよ」
とか文句いいつつ、それをきっかけに
「東のくせに南鳥島」と暗記しました。
でも分からなかったのは、なぜこれらの島々が東京都なのか?
さらにはなぜ伊豆諸島が東京都なのか?
スポンサーリンク
伊豆諸島は静岡県だった
明治初期にはふつうに静岡県に属していたんです。
明治3年(1870)に韮山県、翌年には足柄県の管轄になりました。
明治9年(1876)に足柄県が静岡県と神奈川県に分割されるのに伴って、伊豆半島と同じ静岡県に編入されました。
めでたしめでたし・・・とはいきませんでした。
そのたった2年後の明治11年(1878)、伊豆諸島だけが東京府に編入されたのです。
距離より経済的な結びつき
江戸時代、伊豆諸島は幕府の直轄地でした。
島ではお米が穫れません。
そこで、幕府はお米を支給する代わりに、特産品である塩や絹織物を納めさせました。
さらに、島民たちは特産品である椿油や絹織物や魚介類を江戸に運んで売り、生活に必要なものを買って戻るという生活を送っていました。
この結びつきが、伊豆諸島が静岡県に編入された後にも続きました。
行政上の手続きも静岡県ではなく東京の出張所で処理されていたようです。
小田原とかならまだしも、静岡となると東京の反対方向です。
特産品を売るついでに・・・ができないと不便だったんでしょう。
こういった生活上の結びつきが伊豆諸島を東京府に編入させました。
財政的な問題
以前、こんなニュースを見ました。
ザックリ要約すると、
「離島の高校生がセンター試験を受ける。
でも定期船が月に一回しか出ないので、センターを受けてさらに2次試験を受けるには2か月以上東京に滞在しなければならない。
親戚が本土にいるならまだしも、そうでなければ経済的に大学なんて厳しい。」
じゃあ定期便を増やせばいいじゃん、と考える。
しかし、その定期便を増やした際のコストは誰が出すの?ってなる。
離島を管理するにはこういった費用がかかるということ。
また、小学生の頃友達から、
「伊豆諸島とかではジャンプが一週間遅れて届くんだって〜」
という話を聞いて、
「島に生まれなくてよかった」
なんて思ったことがありました。
子供の頃はジャンプにしか興味がなかったのでそう思いましたが、
こういった「格差」がいろんなところで発生するのです。
その格差を埋めるのは「まずは行政が」ってことになります。
それも将来的なことを考えると、財政的に余裕がないと立ち行かなくなる。
つまり、伊豆諸島が静岡県だったころ、静岡県にとって伊豆諸島はどうにも守り切れない地区であったということです。
特にこれといった産業もなく、人口が多いわけでもない。
放っとけば格差が拡大する。
一方で住民は東京府への編入を求めている。
となれば、静岡県としても東京府に編入してもらった方が良い、となります。
こうして伊豆諸島は明治11年(1878)、東京府に編入されました。
軍事戦略上重要だった小笠原諸島
明治9年(1876)、小笠原諸島が日本の領土として国際的に認められました。
政府は、軍事戦略上重要な拠点として小笠原を考えます。
実際、太平洋戦争では硫黄島は激戦地となりました。
であれば、本土と小笠原諸島との間にある伊豆諸島も東京府に編入した方が、島しょ部を一元管理する上でも都合が良いと判断しました。
そういったわけで、伊豆諸島に遅れること2年。
明治13年(1880)に小笠原諸島は東京府の管轄になったのでした。
ってことは、伊豆諸島は東京の三多摩地区よりも前に東京になってたってことなんですね。
ここまで読んでいただきありがとうございました。