約400ヘクタールの広大な湿原が広がっているところです。
私は東京出身なので、小学校6年生のとき林間学校で訪れました。
湿原に生えている野草をスケッチさせられ、
遊歩道を延々と歩かされた記憶がよみがえります。
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戦場ヶ原の思い出
当時は、「『戦場ヶ原』っていうくらいだから
ここでものすごい戦いがあったんだろう」
と思っていました。
こんな湿原でどんな戦いが繰り広げられたのかとか妄想してました。
「きっとこの湿原の下に武者の亡骸が埋まってんだぜ」
とか言って友達とふざけ合いながら。
先生に「絶対にこの遊歩道から湿原に降りるなよ!降りるなよ!絶対だぞ!」と注意されました。
そうまで言われると「降りたい!」という気持ちが湧いてくるのが不思議。
別に降りても何にも良いことないのに。
先生からは「自然を守るためだから」とちゃんと説明されているのにも係わらず、
「いやいや、それは方便で、実は俺たちに見られてはいけない国家的な秘密が隠されているんだ」
とか考えたりしてました。
ほんっとにバカだな。
踏まれた植物が回復するには何年もかかります。
決して木製の歩道から降りたりはみ出したりしないようにしましょう。
戦場ヶ原の地名の由来を説明されたのかもしれませんが、
友達とのじゃれ合いで忙しかったので聞いておらず、
そんな説明書きなんて読むわけもなく、
大人になってから再度訪れるまでその由来を知りませんでした。
戦場ヶ原の由来@
さて、戦場ヶ原では何氏と何氏が争ったのでしょうか?
正解は、大蛇とムカデです。要は神話のお話。
男体山の神の化身である大蛇と赤城山の神の化身であるムカデが、
中禅寺湖の領有権をめぐって戦った場所だそうです。
長くなるのでザックリ説明します。
昔、有宇中将という狩りが得意な公家さんがいました。
狩りばかりしていて仕事をしないので、帝に左遷させられてしまいます。
いろいろあって日光権現になります。
日光権現には「小野猿麻呂」というブサイクな孫がいました。
弓はうまいけれど、とてつもなくサルに似ていたそうです。
孫の存在を鹿嶋の神に教えてもらった日光権現は、孫に加勢を頼みました。
日光権現は大蛇に姿を変え、なぜか大ムカデに変身した赤城山の神と戦います。
小野猿麻呂は、大ムカデの目を射抜くなどして大活躍!
大ムカデは逃げ出し、見事中禅寺湖は日光権現のものとなりました。
この戦いがあったから「戦場ヶ原」と名付けられたのです。
で、その戦いの中でムカデの流した血がたまったのが「赤沼」。
勝負がついたのが中禅寺湖北側の「菖蒲ヶ浜」。
勝利の宴を開いたのが中禅寺湖東側の「歌ヶ浜」
と呼ばれるようになったそうです。
日光にサルが多い理由ってもしかして・・・
このように、小野猿麻呂(サル)が加勢して決着がついたから日光ではサルを神聖な動物として考えられるようになったのではないでしょうか。
東大寺の鹿みたいに。
他の観光地であんなにサルを見ることってあるでしょうか。
私が訪れた山奥の観光地の数が少ないのかもしれませんが、
あんなにサルを目撃する観光地も珍しいと思います。
昔からサルを神聖視して守ってきたからこそ、
サルが人里に降りてきているのではないかと思います。
今は害獣みたいに見られていますけれど。
戦場ヶ原の由来A
戦場ヶ原にはもう一つの由来があります。
それは「千畳が原」から来ているというもの。
「千畳敷ほどもある広い原野」という意味です。
もともと「千畳が原」と呼ばれていたところを、
神話になぞらえて「戦場ヶ原」と呼ぶようになったようです。
日帰り観光としてもおすすめ
私は夏にしか行ったことがないのですが、
戦場ヶ原は四季折々の自然を体験するにはうってつけです。
東京からならば高速道路を使って2時間ほど。
日光東照宮、華厳の滝、中禅寺湖、戦場ヶ原と一日で回れます。
渋滞にはまったときはこの限りではありませんが。
私は帰りに宇都宮で餃子を食べて帰ります。
みんみん派です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。