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2016年06月06日

なぜ東北地方で稲作が盛んなのか

順位都道府県生産量(t)全国比
新潟県6192007.8%
北海道6026007.5%
秋田県5224006.5%
山形県4009005.0%
福島県36540004.6%
-全国7989000100%
出典:「平成27年産水陸稲の収穫量 」(農林水産省)

この表が何の農作物の上位5県だか分かりますか?
そうです、正解は「お米」です。

イネは高温多雨な環境で育つものなはずです。
なのに、なぜお米の生産は東北地方で盛んなのでしょうか。


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イネが東北地方で育つ理由

まず日本で栽培されているイネは「ジャポニカ種」といって、
耐冷性の高いもので、温帯〜亜熱帯地方で栽培されているものです。

穂が出てから、夏の間にある程度の高温が続く必要があり、
積算温度が950度〜1100度に達すると収穫が可能になります。

となると、ますます東北地方で盛んになった理由が分からなくなります。

次に、米作りに適した土地はどんなものかというと、

  1. 平らな広い水田があること
  2. たくさんの水があり、水不足にならないこと
  3. 夏にたくさんの日照時間があり、昼の気温が高く、夜は涼しいこと

というのが条件としてあります。

では、東北地方はどうかというと、

  1. 大きな川の下流に大きな平野がある
  2. 雪どけ水が豊富である
  3. 夏はフェーン現象により意外と暑い

というわけで、東北地方はお米をたくさん栽培するのに適しているといえるのです。

フェーン現象については「やませとフェーン現象と宝風」で簡単に解説しています。


品種改良によるたゆまぬ努力

東北地方がイネの栽培に向いている土地であるということは分かりました。
しかし、東北地方でイネの栽培が盛んな理由はそれだけではありません。

学校で習いましたよね、「品種改良」。
強い奴と強い奴を掛け合わせてもっと強い奴を作る。
メンデルの法則とか懐かしいですね。

東北地方にはなんと縄文時代後期から稲作が行われていました。
寒さに強いイネだけが生き残り、寒さに弱いイネは育たない。
必然的に、少しずつ寒さに強い品種だけが生き残っていったわけです。

明治時代になると、人間の手によって品種改良が行われるようになりました。
明治37年に、加藤茂苞さんが国立の試験場で初めて品種改良を行いました。

そうやって、長い間品種改良が行われ、
より寒さに強く、よりたくさん収穫でき、よりおいしい品種が作られてきました。


王者コシヒカリに隠された先見の明

今の主流はもちろん「コシヒカリ」。
品種別の収穫量は以下の通り。

順位品種名収穫量(t)割合(%)
コシヒカリ309400036.5
ひとめぼれ84270010.0
ヒノヒカリ8053009.5
あきたこまち6567007.8
はえぬき2584003.1
キヌヒカリ2575003.0
ななつぼし2009002.4
きらら3971674002.0
つがるロマン1553001.8
10まっしぐら1180001.4
出典:「水稲の全国品種別収穫量の推移」(農林水産省)

コシヒカリはできた当初はあまり期待されていなかったそうです。
同じ時期にできた品種よりも、倒れやすく農家の方が作りにくく、いもち病に弱く、実りも遅かったからです。

そんなコシヒカリがここまで作られているのはなぜなのでしょうか。

まず一つは、「おいしい」ということです。
日本人の口に合っていた、というのが一番の理由だったということですね。

次に、コシヒカリは高い値段で取引されるため、
農家の方にとって経営的に有利であるからです。

そして私が最も重要だと思うのは、当時の新潟県農業試験場の考えです。
これからは食糧不足からほど遠い時代が来るから、
お米のきれいさと、味の良さ・おいしさで品種を選ぶ時代が来る。
お米を作るのが大変そうなら、作り方を研究すればいい

と考えました。

その考えは見事に的中し、農業の機械化や、
病気を予防したり治したりする農薬も使うことができるようになり、
コシヒカリは大成功を収めます。
この先見の明には頭が下がります。

このような理由で、コシヒカリは日本で一番多く作付される品種になったのです。

ちなみに、コシヒカリのおいしさ、作りにくさや病気への耐性は、昔から変わっていないそうです。
昔から良い点も悪い点も変わっていない品種なのです。
だから、「コシヒカリは未完成の品種」と言われています。


生産者にとってのお米

東北地方は、冬の間、特に日本海側では、雪に覆われてしまいます。
それが東北地方を稲作に適した土地にする一つの要因ではありますが、
一方で冬の間の農業を不可能にします。

お米は日本人にとって「主食」です。
だから、時の政府はお米の値段に気を遣っていました。
享保の改革で有名な徳川吉宗は米将軍と言われるほど米価に気を配っていました。
現在、減反政策が行われているのも同じ理由です。
(※減反政策は2018年に終了)

東北の人々にとって、冬以外の季節に生きる糧をどれだけ得ておくかは重要なことです。
価格や収穫量がある程度安定している農作物としてお米は最適なものだったのです。
そもそも明治になるまでは年貢として納めるものでしたし。

さらに、第二次世界大戦後の農地改革も東北地方で稲作がさかんな理由の一つです。
農地改革によって、地主から土地を借りて農業をしていた小作農が、
自分の農地を持つことが出来るようになりました。
これによって、農民達のやる気スイッチがオンになりました。

つまり、なぜ東北地方で稲作が盛んなのかというと、

  • 品種改良により寒さに強い品種ができたから
  • 稲作に適した土地が多いから
  • 冬の間は農耕ができない水田単作地帯なので、少しでも収入を得るために米作りに力を入れてきたから

ということになります。


さいごに

現在お米の食糧自給率は97%。
やはり主食だけあって、他の品目よりも圧倒的に高いです。

しかし、これからの稲作のことを考えると難しい局面に立たされていると言えます。
日本のお米の輸入関税は778%です。
これがTPP加盟でどうなるか。
減反政策、税金で守られてきた日本の稲作は競争力を失ってしまったと言われています。

みなさんは国産のお米と、価格が7分の1の外国産のお米だったら、どちらを買いますか?
国産のお米の安全性とブランド力が試される日が近づいてきています。

コシヒカリは、農家の方にとっては育てるのが大変な品種です。
それでも農家の方が頑張って作っているのは、消費者が望んでいるから。
我々消費者の考え方次第では、日本の田園風景は大きく変わっていくでしょう。

「『米』という字はお百姓さんが八十八回苦労を重ねて作ったって意味なんだよ」
農家を今も続けている叔父さんの言葉が思い出されます。

ここまで読んでいただきありがとうございました。




タグ:雑学 社会

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posted by ナマハゲニウム at 07:12 | Comment(1) | TrackBack(0) | 地理ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
りゅ
Posted by at 2019年07月16日 15:12
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